消費者に責任はあるのか?

経済活動において、消費者に責任はあるのだろうか?

今日、”the true cost"という映画を観た。この映画は、デフレ化が年々進んでいるファッション業界で、そのしわ寄せが行っている生産者を追ったドキュメンタリーである。

ファストファッションというものが発明され、服に対する消費行動は大きく変わってしまった。服は、安く、トレンドに合わせて新しいものを買うべき、たくさん服を持っていることは良いことだと消費者に訴え、服を消耗品へと変えてしまった。大量に発注しコストを抑え、安く販売する。それを自国ではなく、途上国へアウトソースする。

先進国に住む人々の所得はここ20年で確実に上がっているのに、服の価格は下がっている。生産コストがそれだけ低くなったかといえば、そんなことは全くなく、むしろ上がっている。どのようにそのコストを抑えているか、それは人件費だ。

途上国の裁縫工場では、薄利であっても仕事を引き受けなければ会社が潰れてしまう。だから、倫理観の欠けた経営をしてででも、クライアントの言うことを聞かなければいけない。そこで働く人々の環境は最悪だ。一日の所得は6ドル前後、上に意見することなど許されない。そこで、働く人々の願いはただ、まともな生活を送れるほどの給料を払って欲しいということだ。月160ドルという、わずかな月給だけだ。何も贅沢したいなんて言っていない。そんなことすら叶わないのだ。

そんなことなど知らずに先進国の消費者は、今日も新しい安い服を買って、その代わりについこないだ買ったそんなに着てもいない服を捨てる。ファストファッションは今日も儲かるのである。

この映画は、ファッション業界について話しているが、このような問題はファッション業界に限った話ではない。食品、コーヒー業界などもそうだ。反社会的、倫理観の欠けた会社を儲けさせてはいけない。

しかし、思うことがある。そんな企業が儲かってしまうのは、一般消費者が買うからである。買わなければ、そんな企業は潰れてしまう。消費者が、社会的規範を失った会社を助けている。

そう思う。しかし、だからといって、消費者を非難できるだろうか。私にはできない。

昨年、NGOの代表とフェアトレードについて議論したことを思い出す。その方は、フェアトレード商品の販売を通して消費者の消費行動を変えたいと言っていた。しかし、私にはそれが腑に落ちなかった。なぜか、消費者はただ自分が欲しいものを買っているだけだと思っていたからだ。消費者の消費行動を批判するのは、フェアトレードを知っている者の驕りであると。

消費者は、何も考えていないのである。「何も」である。ただ、メディアを通して知った流行をただ追っているだけである。彼らに悪気などこれっぽっちもない。真に批判されるべきなのは、メディアを通じて消費者を扇動する企業なのではないだろうか。

社会的企業からしたら、無知な消費者は敵なのかも知れないが、味方にすることだってできる。

社会的企業が作る商品が作る商品(オーガニックとか)がクールであるというイメージを消費者に植え付けることができれば、勝ちである。そうやって、大企業の反倫理的な経営システムを変えていく必要があると思う。