問題をポジティブに捉える

批判することで、物事は変わるのだろうか。

先週、おいしいコーヒーの真実という映画を観た。この映画は、エチオピアのコーヒー農家を映したドキュメンタリーである。趣旨としては、私たちが普段何気なく飲んでるコーヒーがどのように作られているか、そしてその生産者の生活、どれだけ彼らが不平等な生活を強いられているかを伝えることとしていた。

観た感想としては、あーーなるほど程度にしか思わなかった。

東ティモールのコーヒー生産を知っているものとしては、まあこういう撮り方もできるな、でもこれが生産者のすべてではないなと思った。

彼らが不平不満を語っている部分だけ取り出して流しているんだなと感じた。

確かに、コーヒーのことをまったく知らない人にとってはかなりショッキングな映画であると思うし、考え方が少しでも変わるかも知れない。しかしながらそれで変わることはかなり少ないと思う。

この映画に関わらず、マイナスな部分を出せば人の気持ちは変わる。しかし、それは一過性のものに過ぎないのではないだろうか。

たとえば、この映画を観た人たちは、これからネスカフェではなく、フェアトレードマークのついたコーヒーを次の日買うかも知れない。しかし、その消費行動はずっと続くだろうか?続かないのではないだろうか。なぜなら供給者と消費者がwin-loseの関係だからである。どういうことか。もちろん供給者は、商品を買ってもらえるのだからwinである。しかしながら、消費者はというと「まあちょっと高いけど、これが生産者を助けるから」と無理をして商品を買うため、loseである。これでは、一時的に収益を上げることができても、持続的に収益を上げることは難しい。(今回は品質の問題は置いておくことにする)

そうではなく、同じ商品であっても、ポジティブな伝え方をすることでwin-winの関係が作ることができるのではないだろうか。

たとえば、この商品は「小規模農家が手摘みしたコーヒーです。」とか、「雪解け水を使用して加工しています。」とか、「愉快な農家のおじさんたちが歌いながら作っています。」とか、消費者が買うときにもしくは飲んでいるときにプラスになるような情報を与えることの方がよっぽど価値があるように思える。

まだ観ていないが、同じコーヒー映画でも「A Film About Coffee」のほうが共感できそうだ。コーヒーをかっこいいもの、生産者をかっこいい存在として描いている。これは、衝撃度合いでいったら、上記映画より弱いかも知れない。しかしながら、もっとコーヒーのこと知りたいと思うし、いっぱいのコーヒーの価値をより感じることができる。きっと次の日、いつもより高いコーヒーをポジティブに手に取ると思うし、その価値を認めてしまったらもうネスカフェには戻れないだろう。しかも、そのように買ってもらうほうが、生産者としても嬉しいだろう。彼らは支援の対価としてコーヒーを生産しているわけではないのだから。

それともうひとつ。

おいしいコーヒーの真実では、ネスレとかスタバを批判しているけど、あんまり意味ないんじゃないかなって思う。なぜなら、たとえばこれらの会社が批判されたとしても、彼らはあまり動かないと思うし、何か変化を起こしたとしてもそれは嫌々やっていることなので、それらの会社がloseになってしまう。

批判するのではなくて、倫理的なビジネスが価値のあるものだと、企業がwinできものだと認めさせて、真似させることが大切ではないだろうかと思う。

いろんな方法があるんだと思うが、自分はポジティブに社会問題を取り上げたいし、すべての人がハッピーになれる方法を探したいと思う。

 

ソーシャルビジネスとCSRの違いについて考える

ソーシャルビジネスって何だろうか?

よく聞かれることがあるが、上手く説明できなかったりする。

もともと定義が曖昧だから難しいのだが、ちゃんと自分の中で明確にしておく必要がありそうだ。

まず、普通のビジネスとソーシャルビジネスについて

この二つの違いは明確である。

普通のビジネスは、客のニーズや課題を解決するために行われるものである。

それに対して、ソーシャルビジネスは社会問題を解決するものである。

次にNGOとソーシャルビジネスについて

どちらも社会問題を解決するという点では同じである。

しかし、NGOは国からの助成金、寄付などのファンドを得て活動している。助成金などを得るため事業の立ち上げは比較的容易であるが、継続させることが難しい。

一方、ソーシャルビジネスは自らの事業の中でお金を回さなくてはならない。軌道に乗れば持続させることが出来るが、それまでが大変である。

また、前者は支援を目的としているが、後者は同じ土俵で働くことを目的としている。

ソーシャルビジネスと一般企業のCSRの違いについて

どちらも、企業が社会的に良い行いをするという点では同じである。

しかし、CSRは一企業としての社会的責任を果たすために行われることで、実際の事業とは関係を持たないことが多い。CSRから利益をえるのではなく、その活動を通して企業のイメージを作ったり、投資家や篤志家の評価を得るために行われている。

一方、ソーシャルビジネスは社会問題解決から利益を生み出している。また、それがメインの事業である。

最後にソーシャルビジネスと社会的な企業のCSRの違いについて

ここで言う社会的な企業というのは、上記のようにCSRを利用して、会社に利益を得ようとする企業ではなく、環境や人権に関した責任を真摯に果たそうとしている企業の事を述べている。例としてpatagoniaを上げたいと思う。

patagoniaは、社会的に責任を果たしている企業として有名であり、ソーシャルビジネスと言われることがある。しかし、私はそれをソーシャルビジネスではなく、CSRとして位置付ける。

それは、事業の目的が何かで決まると私は思う。

patagoniaは、アウトドア用品のメーカーである。より人々にアウトドアを楽しんでもらうために事業を行っている。そして、アウトドアメーカーとして、アウトドアを楽しむ環境を壊していけないという思いから、トレーサビリティの取れたオーガニックコットンを使ったり、フェアトレードに力を入れている。

言わば、ソーシャルな部分が後発的である。

一方ソーシャルビジネスは、例えば環境問題を解決するために、事業を行うのである。

先発か後発か、これがソーシャルビジネスとCSRを分けるものではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

消費者に責任はあるのか?

経済活動において、消費者に責任はあるのだろうか?

今日、”the true cost"という映画を観た。この映画は、デフレ化が年々進んでいるファッション業界で、そのしわ寄せが行っている生産者を追ったドキュメンタリーである。

ファストファッションというものが発明され、服に対する消費行動は大きく変わってしまった。服は、安く、トレンドに合わせて新しいものを買うべき、たくさん服を持っていることは良いことだと消費者に訴え、服を消耗品へと変えてしまった。大量に発注しコストを抑え、安く販売する。それを自国ではなく、途上国へアウトソースする。

先進国に住む人々の所得はここ20年で確実に上がっているのに、服の価格は下がっている。生産コストがそれだけ低くなったかといえば、そんなことは全くなく、むしろ上がっている。どのようにそのコストを抑えているか、それは人件費だ。

途上国の裁縫工場では、薄利であっても仕事を引き受けなければ会社が潰れてしまう。だから、倫理観の欠けた経営をしてででも、クライアントの言うことを聞かなければいけない。そこで働く人々の環境は最悪だ。一日の所得は6ドル前後、上に意見することなど許されない。そこで、働く人々の願いはただ、まともな生活を送れるほどの給料を払って欲しいということだ。月160ドルという、わずかな月給だけだ。何も贅沢したいなんて言っていない。そんなことすら叶わないのだ。

そんなことなど知らずに先進国の消費者は、今日も新しい安い服を買って、その代わりについこないだ買ったそんなに着てもいない服を捨てる。ファストファッションは今日も儲かるのである。

この映画は、ファッション業界について話しているが、このような問題はファッション業界に限った話ではない。食品、コーヒー業界などもそうだ。反社会的、倫理観の欠けた会社を儲けさせてはいけない。

しかし、思うことがある。そんな企業が儲かってしまうのは、一般消費者が買うからである。買わなければ、そんな企業は潰れてしまう。消費者が、社会的規範を失った会社を助けている。

そう思う。しかし、だからといって、消費者を非難できるだろうか。私にはできない。

昨年、NGOの代表とフェアトレードについて議論したことを思い出す。その方は、フェアトレード商品の販売を通して消費者の消費行動を変えたいと言っていた。しかし、私にはそれが腑に落ちなかった。なぜか、消費者はただ自分が欲しいものを買っているだけだと思っていたからだ。消費者の消費行動を批判するのは、フェアトレードを知っている者の驕りであると。

消費者は、何も考えていないのである。「何も」である。ただ、メディアを通して知った流行をただ追っているだけである。彼らに悪気などこれっぽっちもない。真に批判されるべきなのは、メディアを通じて消費者を扇動する企業なのではないだろうか。

社会的企業からしたら、無知な消費者は敵なのかも知れないが、味方にすることだってできる。

社会的企業が作る商品が作る商品(オーガニックとか)がクールであるというイメージを消費者に植え付けることができれば、勝ちである。そうやって、大企業の反倫理的な経営システムを変えていく必要があると思う。

 

就活多分終盤

久しぶりの投稿である。

今日、ビジレザの一回目の面接があった。今までの面接で一番楽しかった。

ただただ、自分の思いを語ってそれを受け止めてもらえた気がする。本当にここで働きたいと思える。

その理由は、その組織の中で自分がやりたいと思えることが結構明確に見えるからだ。

これまで受けて来た会社は、そこで就職してスキルを身につけて、成長してと、何をどうかはわからないけれども、成長したいと思っていた。いや、成長させてもらいたいと思っていた。仕事をください、専門的な知識を教えてくださいみたいに。これは、かなり受身であるし、会社に期待してしまっている。期待は絶対によくない。期待してはだめだ。

ただ、今日受けたこの会社は、自分がやりたいと思えることを通して、自分自身を成長させ、会社も成長させていきたいと本当に思える。

大きくしたい、とかもっと安定的に収益を出せるようにしたいとか。もっと海外で攻めたいとか。自分のこうしたいが、会社をこうしたいにつながって、そして社会をこうしたいに最後に結びつく。こんな会社は今までなかった。絶対にこの会社だと絶対に思っている。

会社は「人」だ。とよく言うけれども、これには結構懐疑的であった。なぜなら、人は会社を映し出す鏡であるけれども、その数少ない従業員を見て、この会社はこうであるって言うのは、間違っているし、属人化しすぎだと思っていた。輝いている人は、きっとその会社じゃなくてもきっと輝くんだろうなって思っていた。それは正しいと思う。

でも今日の面接とか、こないだの説明会で思ったことは、やっぱり人って大事だな。その人が仕事めっちゃできるとか、めっちゃ優しいとか、いい人とかそんなことは結構どうでもよくて、やっぱり同じ志を持つって本当に重要だと思う。めちゃくちゃ。この仕事は、誰のためにか?ということの意識を皆が常に持っているってめちゃくちゃ強いと思う。社会問題を解決するという普遍の価値観があれば、つまらないことに悩んで仕事をしなければならないといういう事態には陥らないと思う。ここなら、大きなことを悩めると思った。去年、悩みの種類とか大きさがその人の人生の大きさを語ると思ったけど、間違っていないかも知れない。社員間とか、小さいつまらないことに悩まず、どうすればもっと売り上げを上げれて、社会をよくできるだろうというふうに悩みたい。

同じ志を持つ人たちと世界、社会を変えたい。

 

多分、最終には進ませてもらえると思う。そこですることは、自分を偽らないこと。絶対に。素直、誠実。これだけは絶対に大切にしたい。どんなに偉くなろうとも、これだけは捨ててはいけない。

本当に、この会社に入りたいし、ここで就活を終えることができれば、自分が正しいと思っていた就活のやり方も正当化される。かなり就活に大して、違和感を覚えたり、悩んだりしたことがあったが、自分は間違いではなかったと言える。そして同じ悩みを持つ人たちの手助けができる。

就活は、入社試験じゃない。自分を殺して、取り繕って、自分を騙すなんて間違っている。自分のことをとにかく知って、社会・会社のことを知って、そこで自分の志を叶えられる場所を探すだけ。それを証明したい。同じ人間は絶対にいないから、自分自身の価値観を大切にすることが最も大切。だれだれがこうしたから、とか。誰々が働いて、すごく活躍したからとか関係ない。その人にはその人のストーリーがあって、そこに行ったのだから、自分をそこに重ね合わせてはだめ。自分をまず大切に。そうすれば、絶対にそれをわかってくれる会社が見つかる。

最後に、絶対に期待してはいけない。そこにいけば自分は変われるとか、成長できるとか。そんなことはありえない。自分が変わること、そしてその組織を変えてやろうと思うことが大切。仕事だけではなく、その組織にも主体的でなければいけない。そして、思いっきり仕事を楽しんで、誰もが羨む会社にしたいと思う。

毎日変化する

毎日何か新しいことをする。

本で読んだからやってみようと思う。

毎日新しいことを一つ試してみる。

なんでもいい、行ったことのないお店でご飯を食べるとか、買ったことのないものを買ったみるとか、そういうラベルでいい。

そこからどんどん新しいことのレベルを上げていきたい。

マンネリからの脱却。

 

毎日の目標に3つ

本を毎日読む

ブログを毎日見る

新しいこと1つ何か新しいやる

 

今年のテーマ

逃げるは恥だが役に立つ

人に非難される

 

忘れないようにと

 

 

目的としての社会貢献

社会貢献しながら働きたい。

そう言うと、社会人経験積んでからやれとか、まず自分が成長しろとか言ってくる。

でも、それは違うと思う。

社会貢献なんて、どの仕事でもできる。すべての仕事は社会に貢献している。

国連の職員だって、図書館に行って、資料を眺めるたり、コンビニでご飯を買ったりするわけだから、それサービスを提供する人は絶対に必要である。

となると、社会貢献で大事なことは、当事者意識を持てるかということ。そして、対象になっている人を明確にできているかということである。

今、テニスクラブの受付をバイトでやっているが、非常に楽しく意義のある仕事だと思う。なぜなら、対象が明確で、直接的に関わっているからである。

その対象とは、もちろんお客さんな訳だが、仕事終わりとか休日に来てくれる社会人のお客さんに、より楽しんでもらいたいというか、よりハッピーになってもらたいと思っている。また、あそこに行けば気分が入れ替えるとか、話ができると思ってもらいたい。だから、なるべく会話をしたり、名前を覚えることを心がけている。

これも見方によっては「ストレスの中で生きる現代日本人を助ける」という社会貢献なのである。

何が言いたいかと言えば、対象を設けることと、当事者意識を持てば、何でも社会貢献になるということだ。

何も、成長してからでなくても大丈夫だ。

では、自分にとっての対象とは、誰であったか。それは、やはり途上国に住む農家の人たちであろう。その対象を忘れずに仕事を探していこう。

自由記述

今日は、一日予定が入っていないため、関大の図書館に来た。

来たのはいいものの、特にやる気も起きないし、とにかく眠い。

たくさん寝たし、コーヒーも飲んでるのに眠い。

今日は、図書館に来てから本ばっかり読んでいる。

多分、やらなければいけないことはたくさんあるのだろうけど、それを思い返すのも面倒くさい。

頭が回らない。頭がボーとしている。外の空気でも吸えばましになうだろうか。

そろそろ頑張ろうかな。